チェンソーマンの藤本タツキ先生の前作「ファイアパンチ」の1巻を読んだので感想をレビューします。
ファイアパンチは設定などチェンソーマンに通じる部分も多いです。
チェンソーマンが好きなら楽しめる漫画だと思います。
どんな内容?

生まれながら奇跡の力を持つ者を「祝福者」と呼ばれ、氷の魔女と呼ばれる祝福者によって世界は常に雪国化され貧困に苦しんでいた。
主人公のアグニとその妹ルナは「再生」の祝福者の力を持っており、飢えに苦しむ村人に自らの肉を食わせていた。
ある時、村がある国の襲撃にあう。
人肉を食している文化を持つ村人を驚異に感じた炎の祝福者ドマの力によってアグニは燃やされてしまう。
ドマの炎の力は生命が朽ちるまで消えることのない炎だが、再生能力を持つアグニは焼死することができずに燃えた状態で何年間も、もがき苦しみながら生き続けてしまう。
妹のルナも再生の祝福者ではあったが兄ほどの再生能力はなかったため絶命した。
8年が経過し燃える痛みにも慣れた頃、ドマへの復習を誓い、全身が炎で燃える姿で旅立った。
感想
物語は典型的な復習劇から始まります。
不死身な力を持つ主人公と主人公にある種の呪いをかける敵。
アグニが襲われた国ベヘムドルグの住人は性格が歪んだいかれた者が多く、「薪」と称して祝福者たちを地下に拉致監禁しているなど残虐な設定となっている。
1巻はアグニの復習の旅から始まり、べヘムドルグの残忍さに拉致される者を描き敵の残忍さを描く。
またべヘムドルグには亡くなったはずの妹にそっくりな女性ユダも登場し、その正体も気になる。
冒頭の氷の魔女といい、ユダといいここまでは伏線も上手で王道な展開で先が期待できるのだが・・・
1巻の最後で突如先の読めない謎の展開になっていく…。
トガタの登場

1巻の最後でアグニが宿敵であるドマと対峙する。
1巻の最後でいきなり宿敵と出会うのか…とテンポの良さに関心していると、突如次のページで謎の展開になっていく。
部室のような個室で椅子に座りながら自分語りを始める女性。
名はトガタといい、映画が好きだと自称しており映画の話を永遠としていく。
トガタは映画データをべヘムドルグに燃やされてしまい、傷心していたが、手下に見せられたアグニの映像を観てアグニのドキュメタリーを自作映画として撮影しようと思ったという。
ここで1巻は終わる…。
ん?
どういう意味だこれ?
と、最初は戸惑うのだが、何度か読み返してみると、どうやらこういう設定の作品なんだと気がついた。
つまり冒頭からの王道ストーリーはブラフで、そう思い込ませておいていきなり訳の分からない先の見えない展開にしていくという狙いなのだろう。
『先読みができない=面白い』という方程式を冒険的な形で実現している漫画なのだ。
これに気がつけると、一気に楽しみになってくるのだが、それこそトガタのような作品マニアでない限り、なかなか理解するのが難しい設定ではある…。
構造分析 チェンソーマンにも繋がる設定

ファイアパンチにはチェンソーマンと重なる設定も多い。
『悪魔=祝福者』
チェンソーマンの悪魔は様々な能力を持っているが、ファイアパンチに登場する祝福者も似たように様々な能力を持っている。
この作者の特徴として同じ能力者も複数登場するという点がある。
他の能力者バトルだと似たような能力者は多かったりするが、同じ能力者という設定はあまりない。
チェンソーマンなら狐の悪魔と契約している者は多いし、ファイアパンチには再生能力を持つ祝福者がたくさん登場する。
同じ能力でも術者の技量によって力が変化するという視点は面白い。
『氷の魔女=銃の悪魔』
序盤に名前が登場するラスボス?構造は同じ作りになっている。
ファイアパンチの世界では冒頭から氷の魔女により世界が混沌化されていることが判明している。
チェンソーマンでも序盤で最強の悪魔である銃の悪魔の存在を明かしている。
しかし物語はすぐにラスボス討伐へは向かわず、目先の宿敵であったり、新たな刺客を倒すような展開をしていく。
『映画的な演出』
チェンソーマンもファイアパンチも共通していえることは演出が独特であること。
漫画的な見せ方が上手だともいえる。
漫画では次のページをめくりたくなる作りというのが基本的に大事なこととされているが、次のページに進む前のコマでの見せ方が非常にうまいのが藤本先生の特徴でもある。
映画的でもあり、登場キャラクターの心理描写が極端に少ないのも映画っぽい。
トガタはもしかしたら藤本先生自身のモデルになっているのかもしれない…。
ファイアパンチ1巻を読んだ感想まとめ
面白い漫画です。
ただ、かなり冒険的な部分もあるため、漫画をあまり読まない人だと謎に感じるかもしれません。
王道パターンに飽きた人だと、ストーリー展開はまったく読めないので楽しめると思います。